pupui’s blog

何も知らない私が在宅介護を選んだのは…

試されてるのか?

介護度認定の書類を提出したら

確認の電話がかかってきた

入院中なので審査の日は

病院側と連絡をして

担当者が母の病室を訪問するらしい

コロナ禍なので家族の立ち合いは

出来ませんが

何か言っておきたいことや

聞いておきたいことは

ありますか?

と…

 

先ずは認定を受けましょう

すぐに出るものではなく

3週間から1ヵ月は通常かかるものらしい

そこから始まったのだが…

私の中ではまだはっきりと

連れて帰る!と言い切れる勇気は

どこからも湧いてこなかった

天井だけを見つめる母を思うと

胸が締め付けられる

だからと言って…

現実味がないのだ

 

甥っ子や姪っ子が生まれた頃は

姉は長く里帰りした事もあって

赤ちゃんのオムツはよく替えてはいた

だが、身動き出来ない自分より

大きい大人のオムツ替えなんて

どうやってやるん?

それも家でひとりで?

どうやって???

そんな介護・看護の入り口のもっともっと

手前の道路の向こうに

立っているようなものだった

 

地域連携室のMさんが

直ぐに傲慢チキ副院長と私との

話し合いの日時を調整してくれた

先ずはお母様が家に戻って大丈夫かどうか

担当医が許可しない事には

どうにもならないからだそうだ

 

外来終わりの時間を待って

診察室に入る

レントゲン写真が映ったpcモニターを

じっと眺め苦虫をを噛み潰したような

顔で座っていた

 

開口一番

「介護度認定の申請したんやって?」

病院側からすれば好ましくないのかもしれない

今でもよく理解は出来てないが

後から聞いた話しでは

医療の保健と介護の保険では

いろいろ管轄が違うらしく

病院側には医療の保健1本の方が

有難いようだ

 

母の状態がどれほど簡単なものでは

ないかを次々と並べられた

家で大出血したらどうする?

救急車を呼んでも夜間はK病院は

受入れ出来ないらしい

救急ではあるのだが

コロナの検査が夜間は出来ないので

受入れしていないらしい

母の病状が厳しいと言うより

「アンタ!出来ないやろ⁈」

と暗に言われているだけな気がしてきた

 

そして、それが私の思い違いではない

と確信する言葉で…

私は顔面パンチを喰らうのだ

「あの人は体格も大きいから

ひとりで介護なんて無理や!

病院でも慣れた看護師が2人で

するんやで?

そんなんはプロに任せといたらええねん

あの人も病院で手厚くみてもらえたほうが

ラクなはずやし。

1週間ももたんとネ(弱音)をあげるて!」

と鼻で笑われたわけで…

私がネをあげるの決まってるから

しょうもない考えで母も病院も

巻き込むような考えはすんな!

っちゅう事らしい…

 

傲慢チキ副院長は最初からずっと

母の事を

名字や名前でもなく

お母さんやおばあちゃんでもなく

「あの人」「この人」と呼んだ

母がいない場所で私に「あの人」と呼び

母を目の前にして私に「この人」と呼んだ

お医者様からすると

担当の患者は人ではないのかもしれない

「人」とは呼ぶが

ひとりの人として名を呼ぶ事は

しないようになってしまうのだろうか

 

とりあえず、ま、もう一度

考えたら?

と言われ、私の心は

凹んでボコボコにされて

その部屋を出た

 

話しの一部始終を側で聞いていたMさんが

私に向かって心配そうに

「大丈夫ですか?

ププイさんの気持ちが…心配です」

と気遣ってくれた

 

帰り道…

真っ直ぐ家に帰る気にはなれず

ただぶらぶらと家と反対の方に歩いた

頭の中を整理させたいのと

頭を冷やしたかった

 

だから!

不安だらけだし!

やるって言ってないし!

どうしたらいいかなんて

ずっとずっと考えても答えなんて出んし!

とりあえず何もせず時間だけ過ぎて

後悔しないために!って

一歩一歩手探りで這いつくばってるのに!

なんやねん!

あの!傲慢チキ!

地域のために!患者のために!って

入口にデカデカ貼ってある病院の

副院長が⁈

どうせネをあげるって!って鼻で笑うって

なんやねーーーーーん!💢💢💢

 

俄然、ヒートアップするのであった💦

 

 

介護認定の申請

最初の面会の後

地域連携室のMさんが出てきてくれた

転院時、前の病院の担当医にしょっぱな

「家で面倒見ようなんて馬鹿げた事を

考えないように」

と言われたと話した事が気になったそうだ

「ご家族の希望がそうであるなら

サポートしますよ?

ププイさんはどうしたいですか?

ご自宅で看取りたいって思っていますか?」

え?でも、本当に可能なのか?

“一旦、家に連れて帰ったら病院からは

切れるから急変して

家では対処出来ないとなると

受入れてくれる病院がなくて困る”
そう認識していた…

いや、そう言われていると思っていたのだ

急にどうしたい?って聞かれても

頭はバグるだけだ

 

何より

介護などやった事も勉強した事もない私に

面倒見られるより

プロの看護師や介護士のいる病院内のほうが

母がラクなのは間違いないと思う

何かあった時も病院ならすぐに対応出来るだろうし

 

この時点では私の中では

自宅で看取る=病院には戻れない

としか結びつかなくて

このあと、何度も

「家で看取る覚悟がありますか?」

と要所要所で訪ねられるが

その度に

「ひとりで責任取る覚悟はありますか?」

と問われてるようにしか思えなくて

不安でたまらなかった

 

たくさんの不安や聞きたい事は

いっぱいあるのに

「先日もK副院長に、今後、胃からの大出血もあり得ると言われているのに

在宅介護なんて本当に可能なのでしょうか?」

と聞くしか出来なかった

 

地域連携室のMさんは

「どちらが良いかは言えないけれど

家族やご本人がどうしたいに

一緒になって考えるのは出来ますよ

まずは、答えは出さなくとも

お母様の介護認定の申請をしませんか?

申請しても認定には数週間かかりますし

認定を待たずとも

申請した日に遡って認定されます

まずは動いて無駄はないですよ」

と教えてくれた

母の状態で入院中という事もあり

介護認定はおりる

そして要介護度が4か5のどっちになるか?ぐらいの感じらしい

 

そうだ!

母には時間はそんなに残されていない

私に何が出来る?と出せない答えに

不安で苦しむより

少しでも体力がある早いうちに

母を必死で大切に守ってきたこの家に

帰らせてあげたい

大出血?急変?

そんなの病院にいたって同じじゃないか

天井をただ見つめて過ごす時間が

たとえ数日短くなったとしても

家に帰りたいって母なら思っているだろう

そう感じた

 

翌日、私は役所の介護認定の審査窓口にいた

 

 

面会

コロナクラスターで面会の

再開の目処はたっていません

2週間に1度どころか

WEBで様子も見ることも出来ず

今度の病院は一切…

連絡がない

様子を確認したい場合は

電話でお答えする事は出来ますが

忙しい場合などお断りする場合があります

と最初に説明があった

そして、説明通り(?)こちらから連絡しない限り

病棟からは一度も電話はなかった

家族用のLINEが用意され

聞きたい事があればこれを使用して

下さい

ま、これもとりあえず殆ど動かなかった

 

K病院は全てがレンタルで

コロナを理由に殆ど全てが

病院レンタルを使用する方針だった

院内をウロウロ自分で歩き回れるわけでもなく

自分で着替えが出来るわけでもなく

食事や日用消耗品も使用しないが

1日いくらのセット料金だった

 

転院して10日程は一般病棟で

様子を見て、大丈夫なら療養病棟

移るらしい

最初に入った病室は個室だった

もちろん、転院という事で

何か感染症などあった場合の

他の人への配慮だろう

荷物など持って上がるのに

2人までと決められ5分程度

入室を許された

最初は私と姉で入室

 

個室とはいえ…

部屋に壁が風呂場のようにタイル貼り

なのにちょっと驚いた

出血や汚染時の清掃のために

そんな仕様にしてあるのだろうが…

陽の光がいっぱい入り

明るい部屋ではあるが

ここで何日も過ごすのは

風呂場に閉じ込められているような

冷たい感じが凄く居心地が悪かった

 

後で交代で入室した孫娘も

あの部屋でバァバずっと居なきゃいけないの…なんか…可哀想

と呟いた

 

10日程して予定通り

療養病棟に移ります

とだけ連絡が入った

未だ面会の再開は分からなかったが

傲慢チキ副院長がポロリと

「面会も出来るようになるし」

と口にしたので

地域連携室のMさんに確認したが

そういう内容は院内でまだ

決まった様子はない

と首をかしげたが

「上の人達が話し合って決めるので

そういう感じになってるのかも

しれませんね」

とそういう日が近い事を知った

 

転院して2週間程した時

突然病院のLINEが動いた

「面会を再開します

予約はお電話で!」

直ぐに電話したら再開日に取れた(笑)

 

姉と2人で行った

予約時間の10分前には病院窓口に

行ったが

病棟はバタバタしているようで

時間になっても案内はない

しばらくして

上の階ではトイレは使用出来ないので

済ませてから装着すりようにと

使い捨てビニールエプロン

を渡される

下の階のエレベーターで目的階の

ボタンを押して閉まるまで

受付のスタッフさんが付き添ってくれる

私達外部の人間はほとんど

壁、手すり、ボタン…

触れる事のない感じ

エレベーターのドアが開くと

病棟看護師さんが待っていた

 

挨拶を済ませて

病室まで案内してくれる

既に冷たい感じの風呂場のタイル部屋

は出ていたので

今度は4人部屋らしい

エレベーターを降りた所は

中央にテーブルが並んでいて

入院されている方々が一緒に

介助を受けながら食事をしたり

ソファでテレビを見たり出来る広いエリアを

ナースセンターや各部屋が囲んでいる

増築を繰り返したこの病院は

迷路のようになっている

案内してくれる看護師さんの後について

歩いていく

角や廊下を通り過ぎる度に

最初の明るい病棟の雰囲気から

暗く静かな病棟に変わっていった

 

部屋を入ったら左手すぐのベッドに

母はいた

コロナだからなのか?

分からないが

各ベッドはカーテンをしっかりと閉じた状態だった

ドア側の母のベッドからは窓の外は見えず

テレビもあるはあるが

ついてはいなかった

急に入ってきた姉と私を見た母は

最初、静止画のように止まったまま

え?なんでおるん??

と夢でも見てるかのように戸惑っていた

ベッドのあっちとコッチ両サイドに

立った私達を交互にキョロキョロと

見て、状況を理解した母は

半身麻痺で動けないのに

起きようと頭を一生懸命に

上げようとした

 

10分しかないので

何が出来るわけではないが

前回の母の鯛の鱗状態の皮膚が気になり

持って行った保湿クリームを

手や脚、可能なところは全部塗った

レンタルではあるが

ちゃんとボタンのついた前開きのパジャマで

長ズボンもちゃんと履かせて貰っていた

 

前の病院は前開き&ズボンのパジャマも

あって廊下を歩く患者さん達を

目にしたが

母は殆ど着せて貰えなかった

オムツの交換時にズボンの上げ下げ

は介護が面倒なのかもしれない

WEB面会で何度も自分の足元の裾を

動く手で気にして(着物の裾をただすような仕草)直していた

ズボン履かせてあげてもらえると

ありがたいとお願いはしたが

ひとりのために時間も手間も

増やすのはしないのだろう

 

日中なのだが

同室の3人の方々のカーテン内からは

テレビの音も物音も

一切なかった

時折、呻くような声だけがした

 

テレビカードも前回同様

数枚買って渡したが

数週間たっても、殆ど残っていた

イヤホンも必要か?と聞いたが

入院患者さん達は耳が遠い人が多いので

音は自由に出してて大丈夫だと

けれど、母は自分で起き上がって

テレビのスイッチを押す事すら

出来ないのだ

 

カーテンは閉じられ

窓の外の空すらも目に入らず

テレビもついてなく

重篤患者の部屋で

ただただ天井を見つめて過ごす毎日が

どれほど長く寂しいだろうか

と考えただけで胸が痛かった

自分では身動きも出来ず

食べる楽しみも話す楽しみもなく

ナースボタンさえ

ベッドのヘッド部分の上に置かれていた

誰かを呼ぶ事すら出来ない

自分が胃癌である事を知っている母には

死ぬことも生きることも選べない

天井だけを見て最期の日を待つだけの

毎日なのだ

 

私に出来る事は何だろう

何が出来るのだろう

子供の頃から親に苦労し

兄弟に苦労し

結婚してからも苦労の日々を過ごし

働きづめに働き

最期の時間をこんな寂しい形で

終わらせるのは悲しすぎる

コロナだから仕方ない

病気だから仕方ない

どんなに自分に言い聞かせても

納得出来る答えではなかった

 

知らないことだらけですが?

倒れた母も姉も

「三途の川も金次第」というタイプで

最初に癌がわかり手術も出来ませんと言われた外科の先生に

渡して欲しいと強く言われ

「だったら自分で渡し!」と言うと

外科外来の受診時に看護士さんがいない隙に

「これ!先生にお手紙!ラブレターやねん」

と言いながら渡していた

先生もきっと分かっている

断らず受け取るもんなんだな~

私立や県立、国立・・・地方公務員というのは名ばかりか

 

姉からは今度のK病院の傲慢チキ副院長に

渡してこい!と何度も言われる

 

私は。。。。こんなので左右されるくらいのモチベーションの

医者なんて今時いるのか?

庶民にとって生活を切り崩して作った金も

お医者さまからしたら「はした金」

そんな事で仕事の内容が変わったり

待遇に変化がある医者の方が

私は信用出来ないんだが?

 

とりあえず本人や家族の望む事をするしかない

病院に行き、担当の傲慢チキ副院長先生にお時間があるか

聞いてみる

少し待たされたが、診察室に通される

 

転院の日、私と姉が入院病棟で入院手続きをしている間に

副院長が今日撮ったレントゲンを見ながら

説明を聞きたいか?と父に言ったらしい

たまたま、姉の旦那さんがいてくれて助かった

後で父に内容を聞くも要領は全く掴めない

いつもそうだが、聞いてる時は

はい!はい!と返事よく聞いているが

後で何も聞いていない事がわかる

なら、私はわからないので・・・と

代わればよいものを、調子よく自分が対応する

後日、言った言わないでトラブルになる時は

必ず父が関係している

義兄から聞いた状況は転院元からは一切聞いていない内容ばかり

義兄も突然説明を聞かされているので

その判断は出来ず、質問らしい事も出来ず

ただ私にちゃんと伝えられるようにと聞いていてくれたようだ

「こんな感じで言われたけど、ププイの知ってる感じ?」

「これこれって感じで言うてたけど、間違いない?」

みたいにひとつひとつ確認しながらお互いの

知っている事を線で結んでいく作業

 

誤嚥性肺炎を起こした影がある・・・と

今後、口からの食事は無理なので鼻からのチューブで

栄養を摂るか胃瘻にするかこれからの様子で判断するとのこと

 

ん?転院する2日前に病棟看護士からの電話で

「口からの食事はあいかわらずご本人が

スプーン2さじくらいで、もういいわって感じで

手で払って拒否されます。

食事療法リハビリの先生は飲み込む力はあるのにと

言ってるのですが」

と言われる

母は食いしん坊で美味しいものに目がない人で

だから体格もよく、私が物心ついた子供の頃から

母がスリムだった姿は私の幼少期の写真で見るくらいだ

病院食は以前から口にせず

文句ばかり言っていたので

倒れてもなお、40日ものあいだ口から摂っていなくても

食べたくないってわがまま言ってるのか?ぐらいに思っていた

急遽、家から大好きな茶がゆを持って行ったのも

それがあったから。

プリンもゼリーも、いつも好んだ物を買って持っていった

 

見慣れた父の弁当箱

毎日毎日何十年も毎朝作っていた父の保温ポット

看護士さんが病室に持って行き

それを出すと母自らスプーンを手にし

そんなに含んで大丈夫?と思う量をすくい

口に運んだらしい

ただ、やはり2さじでスプーンを置いたようだ

 

リハビリの先生からは

普通食OKで転院先の先生には報告書を出してくれるらしいです

と言われる。

おかゆさえ食べないのに普通食OKの意味がわからないが

食べないのは本人の意思で食に興味をなくしているが

食べる、飲み込む能力はある

という事らしい

 

細かいことばかりだが

先の病院では説明されなかった事が

K病院で聞けるのでは?と思いK副院長をたずねた

 

だが、引き継いだ人の説明が悪いのか?なんなのか?

しょっぱな副院長に会った時から

どうもご機嫌が悪そうだ

「こないだ話しした事に何か不明な事でも?」

と不満いっぱいに言われる

誤嚥性肺炎の事は聞いてなかったので

確認したくて…

と言うと

「向こうからのカルテでは食事の際に

誤嚥して結構厳しそう事があったって

書いてあるけど

聞いてないのか?」との事

 

てっきり、わがままで食べたくないのだと

ずっと勘違いしていたけれど

そういう勘違いするような、でも

そうハッキリとは言ってないけど

そう思うよな…という持っていき方だ

母はきっと…また口にして

苦しい思いをしたくなかったのだろう

こんな事で死んでたまるか!

と思ったのだと…私は思った

 

倒れる前日もその2週間前も

貧血みたいにふらふらして立っていられない

心臓がドキドキすると訴えていたけど

特に調べる事もしてくれなかったんだけど?

とその不信感も聞いてみたら

抗がん剤治療していると

トルソー症候群ってあるんや

治療の時に説明は受けたやろ?」

って…初耳ですし…

脳外科医は「誰にも予測出来ない

突然、血栓が飛んで発症するもんです」

と説明してたけど…

医者によって見解が違うのも理解は出来るが

ここまでくると、同じ病院内で

庇うのも疑いたくなる

 

とにかく、母が癌だと診断されたその経緯も

不信感から始まっていて

一般庶民が大きな病院相手に

訴訟も何も出来るはずもなく

ただただ奥歯を食い縛って2年間

癌と闘い命を削っているのに

お医者様とは無責任なものだ…

そして高圧的でもある

 

ただ、家族は面会も出来ない

人質に取られてるようなもので

なんとか機嫌を損なわないように

腰を曲げ、頭を低くしているしか

ないんだと…心の中は卑屈に歪んでいく

 

最後に

「母のことよろしくお願いします」

と頭を深く下げ

封筒を差し出す

え?とか言いながら

「そんないいのに〜」

と甘い声を出したのは

これまでも、これから先も

この時たった1度きりだった

 

 

地域連携室

地域連携室って何するとこ?

正直、今も良く分かってない

ただ、転院先のK病院は

入院したその日にすぐ挨拶に来て

そこから先、この人が入院の間

いろいろ相談にのってくれたりした

 

部所の機能的な役割はよくわからない

でも、何でもそうだが

誰がどんな仕事を「プライド」を持って

果たそうとしているか?で

仕事は違ってくるんだと思う

 

日本語で「プライド」と聞くと

あの人、プライド高いよね〜

と「見栄」とかちょっと良い意味に

使われない事、多くない?

本来、「proud」は「誇り」のはず。

 

挨拶を済ませ、母の状況や

家族の思い

「間違っても家に連れて帰って面倒みようなんて思うな」

と先の病院で言われた事を話した

 

地域連携室のMさんは

なんでそんな事を言ったのでしょう?

もちろん、医師の許可は必要ですが

何もそんな言い方…しなくても…

ププイさんがそう願うなら

いくらでも協力するので

今後一緒に考えていきましょう

と寄り添ってくれた

 

K病院は外来入り口のガラス面に

大きく「在宅診療」「往診」「地域に根ざした〜〜」と貼ってある

院長面談の日は何気その文字を読んでいた

母を転院させて帰る日はそんなの出来る?

と何故か在宅介護が頭に過ぎった

まだまだ、

イヤイヤ💦実際無理やん⁉️

とドラマかNHK特集ぐらいの事で

自分がそんな事をするとは

微塵も考えてはいなかった

転院先

介護タクシーに乗るため

車椅子に座っていた母は

倒れてから初めて長時間座っているはず

 

右半身が麻痺しているので

どうしても身体は傾いてくる

到着した病院で介護タクシーの車椅子を

返却するために、また病院の車椅子に

乗り換える

体の細い華奢な看護師さんが

母の両脇を抱えるが

体格のいい母は力も入らずダラリとして

ますます重い

1度めは思った以上に重く一旦

体勢を整えるため座り直す

抱えて母を隣りの車椅子に移すにはやめ

次は車椅子をセットして

「私が抱えるのでその隙に車椅子を

差し替えて下さい」

と姉の夫や介護タクシーさんに指示し

せーの!で連携プレイ

 

しばらく受付付近で待たされる

その間、孫娘が

「バァバ、ここ何処か分かる?」

と聞いたら

動く手で宙に字を書いたらしい

バァバはココが何処かちゃんと分かってると孫娘は言った

 

面談した院長先生ではなく

母の担当は副院長だそう

レントゲンを終えた母は診察室の

ベッドに寝かされていた

そのカーテンのところに仁王立ちしていた副院長はこう言った

「誰に話ししたらいい?

ここで話ししていいんですか?」

と母をチラッと見て言った

凄く高圧的な態度が妙に気になった

ここで?とかどうよか

私達に聞いても、他にあるんですか?

と反対にこちらが聞きたい

え?え?と戸惑っている私達の返事も

待たずに母の今の状況を

話し始めた

内容はとてもシビアなもので

本人の前で話す内容か?と

いろんな事が頭に過ぎって

話しに集中出来ない

副院長的には転院元の病院からの資料で

母は話しの内容も理解出来ないと

最初から思っているのだろう

幸か不幸か母はとても耳が遠く

更に男性のこもった声は聴き取り難いのでマスクも相まって

聞こえてないと信じていたかった

 

しばらくお待ち下さい

と母が寝かされた診察室に

姉と孫娘と私と4人でそこにいた

母の顔は皮膚が乾燥してボロボロだった

あんなに色白でキメの細かな母だったのに

女3人いて誰もハンドクリームさえ

持っていなかった💦💦

転院する時に返された外科で処方された薬として提出していた薬袋があった

その中に乾燥を防ぐクリームがあるのを

思い出し

慌てて母の入院荷物を探る

 

まずは顔に塗り

手に塗り…少しパジャマの袖を捲ると

ガビガビに乾燥した腕があった

手の届くところまで

姉と必死で塗りまくった

足をみた

スネはまるで鯛のうろこのように

乾燥した分厚い皮膚が立っていた

 

あっちコッチ必死で塗りまくる姉と私

母はオモチャにされて

「もうエエって💦」と言いたげな

嫌そうな顔で孫娘に目を向けた

孫娘はいつものバァバやな〜と

笑った

 

私と姉が必死になったのは

あまりにも酷い肌の状態がショック

だったからだ

え?なんで??

なんで、こんなに??

とお互い心の中で叫んでいたのだ。

私は何度もボディーローションやクリームを病院に持って行ったけれど

殆ど使われてはいなかったのだろう

姉は「やってる!やってる!って言うてたけど、結局あの病院は何もしてくれてないって!風呂だっていつ入ったか?

入ったとて形だけ。湯に浸けてハイ!おしまい!そんなもんなんや!」

と吐くように言った

母の周りには剥がれた皮膚が

山のように散らばった

韓国垢擦りでもこんなに集まらないよねと私達はなんとかこの場を

暗くしないように

いつものように会話するように頑張った

新品の50グラムのクリームが

その場でカラになった

 

転院

実際、転院先の病院もクラスター直後なので

面会には厳しい

面会再開は目処がたたないが

再開したら病室で直接10分間の

面会が出来るらしい

2週間に1度だけど…

 

転院の際は

姉家族も来てくれた

次、会えるかどうかみんな口に出さずとも

これが最後かも…

と毎回感じていたからだ

 

言われた時間に行くも

結局、蕎麦屋の出前インターホンから

フリースペースでみんな待たされる

「少々お待ち下さい」

は5分の時もあれば数十分の時もある

 

転院先から受入れ時間の指定があり

それまでに精算や手続きを済ませたり

本人の着替えを持って来てもらって

着替えなど準備があるので

何時には必ず来て下さい

と事前に言われていたので

到着してはいるが

このフリースペースから

なかなか進まないのである

朝は病棟が一番忙しいのは理解出来る

遊んでぶらぶらしてる看護師もスタッフも

1人もいない

みんなが走り回っているのだから

 

病院のレンタルパジャマを着ている母は

着替えが必要なのだ

とにかく、着替え渡したいな〜

でこちらも気が急いてくる

支払いのために階下にも行かなきゃだし

通りすがりの看護師さんに声をかけるも

自分の仕事の他に請け負いたくないのだろう

呼んできます

聞いてきます

と誰も対応してくれない

こちらも少々イラッとしてきて…

面会禁止のポールを越え

1歩また1歩と母の部屋であろう側に

進んでいく

流石に、面会禁止エリアに

普段着を来た、荷物をかかえた女がいたら

看護師さんから歩み寄ってくる(笑)

持って来たカバンでは帰る時の荷物が

入り切らないはずだから

荷物をまとめる袋

着替えのパジャマ

これがないと、そちらも準備進まなくない??

進むも何も手がまわってないようだ

出発時間に間に合うのだろうか??

 

よほど、猫の手も借りたかったのか

今までは病室なんて入れてもらえなかったのに

「お一人だけ、荷物をまとめる為に

入室してください」

とそのまま病室に案内される

恐る恐る部屋に足を踏み入れると

個室にひとり

テレビがついているでもない部屋に

母が横たわっていた

ただ、天井を眺めている母がいた

看護師さんと思っていたのだろう

私の顔を見るなり

え?なんで?と言わんばかりに

私から目を離さない母

左手を伸ばしてきたので

そばに寄り手を握り

「今から荷物まとめるからね。

お引越しやで〜」

と声をかけると母の目から涙がこぼれた

私は涙を見せたくなくて

すぐに背を向けて荷物をカバンに入れ始めた

私が荷物を入れている間中

母は私の姿をずっと目で追っていた

私が荷物を入れ終わるのと

着替えのため介護スタッフさんが入ってくるのと同時だった

私はそのまま部屋を出され

手続き、精算に走り回る

 

私が行ったり来たりしてる間に

母の準備が済み車椅子に乗せられて

フリースペースに現れた

孫娘(姉の娘)や姉が駆け寄った

孫娘が母の手を取ると

顔を見て分かったようだ

何度も手をぎゅっぎゅと握り合っていた

孫娘は母から離れずずっと車椅子の

そばにいて母の手を握り摩っていた

 

私が全ての手続きを終えて戻ると

「俺って格好いい先生」と1人の看護師さんが

父と姉家族と母を囲んで話していた

自分がどれほど母の病状管理に尽くしたかを

力説していたらしい

 

エレベーターで階下に降りる時

孫娘が小さな声で言った

「バァバはあの先生嫌いなんやな

あの先生がバァバに近づいて

(○○さん!お大事に!)って近づいて

言った時、

愛想笑いしてたけど、私の方見て、

すごーい嫌そうな顔してた(笑)」

こんな若い娘さえも

言葉にならない表情を感じているのに

医者は理解出来る能力はない

と言い続けた

 

介護タクシーに乗って

何度も何度も通った道を走る

母はずっと車窓に流れる景色から

目を離さず眺めていた

もう二度と見れない、外には出れない

と思っていたのかもしれない

改めて見知った景色を目に焼き付けるように…

 

姉が母と一緒に後部座席側に座り

私は助手席に座った

何度も母に方に振り返り

母が外を眺める姿を見た

「お母さん、言いたいこといっぱいあるんやんな?

悔しいんやんな?

でもな?大丈夫やで!私が全部知ってる!分かってるから!」

と言うと

母は声を出して嗚咽しながら泣いた

私に手を伸ばし、

言葉が出ないもどかしさと

悔しさで あぅ!あぅ!と

声を出し泣いた