pupui’s blog

何も知らない私が在宅介護を選んだのは…

面会

コロナクラスターで面会の

再開の目処はたっていません

2週間に1度どころか

WEBで様子も見ることも出来ず

今度の病院は一切…

連絡がない

様子を確認したい場合は

電話でお答えする事は出来ますが

忙しい場合などお断りする場合があります

と最初に説明があった

そして、説明通り(?)こちらから連絡しない限り

病棟からは一度も電話はなかった

家族用のLINEが用意され

聞きたい事があればこれを使用して

下さい

ま、これもとりあえず殆ど動かなかった

 

K病院は全てがレンタルで

コロナを理由に殆ど全てが

病院レンタルを使用する方針だった

院内をウロウロ自分で歩き回れるわけでもなく

自分で着替えが出来るわけでもなく

食事や日用消耗品も使用しないが

1日いくらのセット料金だった

 

転院して10日程は一般病棟で

様子を見て、大丈夫なら療養病棟

移るらしい

最初に入った病室は個室だった

もちろん、転院という事で

何か感染症などあった場合の

他の人への配慮だろう

荷物など持って上がるのに

2人までと決められ5分程度

入室を許された

最初は私と姉で入室

 

個室とはいえ…

部屋に壁が風呂場のようにタイル貼り

なのにちょっと驚いた

出血や汚染時の清掃のために

そんな仕様にしてあるのだろうが…

陽の光がいっぱい入り

明るい部屋ではあるが

ここで何日も過ごすのは

風呂場に閉じ込められているような

冷たい感じが凄く居心地が悪かった

 

後で交代で入室した孫娘も

あの部屋でバァバずっと居なきゃいけないの…なんか…可哀想

と呟いた

 

10日程して予定通り

療養病棟に移ります

とだけ連絡が入った

未だ面会の再開は分からなかったが

傲慢チキ副院長がポロリと

「面会も出来るようになるし」

と口にしたので

地域連携室のMさんに確認したが

そういう内容は院内でまだ

決まった様子はない

と首をかしげたが

「上の人達が話し合って決めるので

そういう感じになってるのかも

しれませんね」

とそういう日が近い事を知った

 

転院して2週間程した時

突然病院のLINEが動いた

「面会を再開します

予約はお電話で!」

直ぐに電話したら再開日に取れた(笑)

 

姉と2人で行った

予約時間の10分前には病院窓口に

行ったが

病棟はバタバタしているようで

時間になっても案内はない

しばらくして

上の階ではトイレは使用出来ないので

済ませてから装着すりようにと

使い捨てビニールエプロン

を渡される

下の階のエレベーターで目的階の

ボタンを押して閉まるまで

受付のスタッフさんが付き添ってくれる

私達外部の人間はほとんど

壁、手すり、ボタン…

触れる事のない感じ

エレベーターのドアが開くと

病棟看護師さんが待っていた

 

挨拶を済ませて

病室まで案内してくれる

既に冷たい感じの風呂場のタイル部屋

は出ていたので

今度は4人部屋らしい

エレベーターを降りた所は

中央にテーブルが並んでいて

入院されている方々が一緒に

介助を受けながら食事をしたり

ソファでテレビを見たり出来る広いエリアを

ナースセンターや各部屋が囲んでいる

増築を繰り返したこの病院は

迷路のようになっている

案内してくれる看護師さんの後について

歩いていく

角や廊下を通り過ぎる度に

最初の明るい病棟の雰囲気から

暗く静かな病棟に変わっていった

 

部屋を入ったら左手すぐのベッドに

母はいた

コロナだからなのか?

分からないが

各ベッドはカーテンをしっかりと閉じた状態だった

ドア側の母のベッドからは窓の外は見えず

テレビもあるはあるが

ついてはいなかった

急に入ってきた姉と私を見た母は

最初、静止画のように止まったまま

え?なんでおるん??

と夢でも見てるかのように戸惑っていた

ベッドのあっちとコッチ両サイドに

立った私達を交互にキョロキョロと

見て、状況を理解した母は

半身麻痺で動けないのに

起きようと頭を一生懸命に

上げようとした

 

10分しかないので

何が出来るわけではないが

前回の母の鯛の鱗状態の皮膚が気になり

持って行った保湿クリームを

手や脚、可能なところは全部塗った

レンタルではあるが

ちゃんとボタンのついた前開きのパジャマで

長ズボンもちゃんと履かせて貰っていた

 

前の病院は前開き&ズボンのパジャマも

あって廊下を歩く患者さん達を

目にしたが

母は殆ど着せて貰えなかった

オムツの交換時にズボンの上げ下げ

は介護が面倒なのかもしれない

WEB面会で何度も自分の足元の裾を

動く手で気にして(着物の裾をただすような仕草)直していた

ズボン履かせてあげてもらえると

ありがたいとお願いはしたが

ひとりのために時間も手間も

増やすのはしないのだろう

 

日中なのだが

同室の3人の方々のカーテン内からは

テレビの音も物音も

一切なかった

時折、呻くような声だけがした

 

テレビカードも前回同様

数枚買って渡したが

数週間たっても、殆ど残っていた

イヤホンも必要か?と聞いたが

入院患者さん達は耳が遠い人が多いので

音は自由に出してて大丈夫だと

けれど、母は自分で起き上がって

テレビのスイッチを押す事すら

出来ないのだ

 

カーテンは閉じられ

窓の外の空すらも目に入らず

テレビもついてなく

重篤患者の部屋で

ただただ天井を見つめて過ごす毎日が

どれほど長く寂しいだろうか

と考えただけで胸が痛かった

自分では身動きも出来ず

食べる楽しみも話す楽しみもなく

ナースボタンさえ

ベッドのヘッド部分の上に置かれていた

誰かを呼ぶ事すら出来ない

自分が胃癌である事を知っている母には

死ぬことも生きることも選べない

天井だけを見て最期の日を待つだけの

毎日なのだ

 

私に出来る事は何だろう

何が出来るのだろう

子供の頃から親に苦労し

兄弟に苦労し

結婚してからも苦労の日々を過ごし

働きづめに働き

最期の時間をこんな寂しい形で

終わらせるのは悲しすぎる

コロナだから仕方ない

病気だから仕方ない

どんなに自分に言い聞かせても

納得出来る答えではなかった