pupui’s blog

何も知らない私が在宅介護を選んだのは…

転院準備

急性期病院はその治療が一段落すると

転院を急かされる

ずっと抗がん剤治療をしていた同じ病院だが

脳外科で運ばれたら

再発の恐れは一旦ないとなったら

療養型のような病棟がある病院か

リハビリ型のような病院に転院させられる

 

リハビリ型の病院は

リハビリをして「社会生活に戻る」という目的でしか入れてもらえない

母のような高齢で胃癌末期の状態では

療養型しか選択肢がないらしい

 

病院内にある地域連携室に予約を入れ

また別日に病院へ向かう

病気になったら自分1人で診察や治療に

行けてる間は何とかなるが

こうなると…家族が仕事を持っていたり

平日の昼間に何度も病院に行って

本人の代わりに走り回れる家族が

いるとは限らない

大きく立派な病院の門構えをしていても

誰の為の医療制度なのか

疑問しか浮かばない

高齢者や子供に優しい福祉を声高に

うたう日本のテレビニュース

実際、経験した人にしかわからない

不親切な制度

雇用制度のためだけに医療制度は

大きく膨らんでいるようにしか思えない

必要な人に必要なサポートが届いて

いるのだろうか?

 

地域連携室って何するとこよ?

ぐらいの知識

ココにいる人がケアマネさん?

ぐらい(笑)

 

地域連携室の若い女性が担当になった

パンフレットを見ながら

母には療養型の病院しかない説明を

受ける

 

地連:この病院が隣市ですので

   お住まいの市内にはあまり

   転院される方が少なく

   この市内かご自宅より反対側の

   病院とかになるんです

ププイ:今でも遠いのに…

地連:3件ほど調べてみました

   コロナになり多くの病院が

   療養型のベッド数を縮小したり

   閉鎖しているのと

   お母様の現状では管理が難しい

   との事でなかなか厳しいです

   H病院 S病院 A病院

   で希望に合うのありますか?

 

と出された資料

H病院は今の病院から車で5分くらいの

場所で個人病院ではあるが救急病院で

救急受入れ、各科外来、入院病棟もわりと多い

S病院は自宅のある市から今の病院のある市を挟んでまだ向こうの市になる

A病院は自宅から10分ほどにあるが

今は満床らしい

 

ん?満床を紹介するほど、どこもないの?うちの市内?

 

あとは自分でインターネットなどで調べるしかないらしい

地連連携室とは何するところ??

 

丁寧な対応で非の打ち所がないように

思える説明会

ん?ん?

もう一回、言ってみる?

地域連携室って何するところ?

予約までして何度も足運んで

自分で探すんかーーーーい‼️

駅の駅員さんに道聞いても

もっと情報いっぱいくれるで???

 

わかりました

自分でも探してみます

ただ、希望の病院を何件か見つけたら

そちらへのアクションはココがとってくれるんですよね?

と確認すると

もちろんです!一緒に考えましょう♪

と満面の笑みでかえってきた

(みなまで言わん!意味わからん!)

心の声をそっとしまい病院を後にする

 

数日後、地域連携室

地連:私も調べました

   A病院 O病院 H病院

   A病院に事前に確認しましたが

   やはり満床で受入れ無理でした

   O病院 H病院はご希望なら

   確認出来ます

 

私「も」…

なのか???

A病院は前回も同じ事言ってたのに

やっぱり先頭に名前が出るのは何故だろう…

そんなにA病院がお勧めなのか?

他の2件は電話確認すらしては

いないと??

 

ププイ:満床と分かっていても

    まず最初にA病院の名前が

    上がるのには何か意味が

    あるんですか?

地連:いつも満床なので人気が

   あるようですね

   病院棟と療養病棟があり

   VIP棟もあり、コンシェルジュ

   常駐していて県外からも

   転院する方が多いようです

 

誰も一度もそんな希望言ってない

私の希望は

母の脳外科として治療はなくても

進行していく癌の対応(痛み苦しみ)

をしてもらえる病院

無理とは分かっているが

元気になったらまた会えるよ!

の言葉は私達にはないのだ

なので、少しでも面会のチャンスや

配慮のある病院

それだけを訴えているのだが…

 

緩和治療やホスピスも調べた

近くにある評判の良いホスピス

本人が死を受入れ終末期を過ごす事

医者の診断で予後1ヶ月が基準らしく

前から入院は難しいらしい

なので、母はまだ権利がないらしい

 

自分の調べてきた病院を3・4件

出してみた

 

これから先も何度も経験するのだが…

医療関係の選択方法は

選択肢が3件あっても

まず、どこを希望しますか?

と1件に絞らされる

では、次回に!と日を置いて

ダメでした。次どうします?

の流れで進む

 

一般人、一般企業で働く一般市民は

3件あります!

じゃ!とりあえず、3件に当たって

1件でも2件でも

OKでたところでもう一度話し合いましょうね!

…ってなりませんか?

そんな自由に選べるなんて贅沢言うなよ

といつも頭を抑えられてる気がして

息苦しかった

 

結局、私が調べてきたK病院に絞り

家族の面談として院長先生と会う事になる

病状や受入れ条件など

医者同士が話し合うわけで

事前に家族が面談するのは…

支払い出来るか見た目判断するの?

ヤバそうな感じの家族は拒否なの?(笑)

意味わからんけど…

K病院は自宅から歩いても10分ほどなので

テクテク歩いていく

院長先生はとても気さくで優しそうで

私の話しに耳を傾け

今の病院では母の脳は認識出来ない

というのにも、

そんな風に泣いて家族が分かっているのを見ても

そんなん言うの?と歩み寄ってくれる

実際、理解の程度なんて数字で

表しても意味がない

本人を診て、あーこれは分かるんだね

と…それだけで家族は良いのだ

医者が患者を絵や数字だけでなく

接してくれるだけで

家族は安心するのだ

 

受付窓口で名前を呼ばれ

「今日の院長面談費として

4000円になります」

こうやって費用が知らず知らずに

膨らんでいくのだ

それはそれで致し方ない!と

グッと飲み込むのだが…

何か名目がないといろいろ取れない

のであれば

家族にも仕事や生活があり

4000円の支払いの為に

有給を使い、時間を調整し

病に倒れた家族を思い時間を作るのだ

入院手続きの際に4000円くらい

他の名目で徴収してくれないか??

 

K病院から受入れOKがでた

しかし、K病院でコロナ院内クラスタ

が発生し

母の転院は延期となった

 

急性期病院はとにかく転院!転院!

早く決めて下さい!

の圧で迫ってくるが

院内地域連携室からは市外や満床しか

提案がないので

今回は私が探したK病院の受入れ再開

まで追い出されない方向に落ち着いた

 

救急で運ばれ最初は

入院期間は10日から2週間で転院

長くても1ヶ月とお考え下さい

病院が決まり次第転院します

と言われていたが

結局、母は45日間そこにいた

 

介護タクシーに自分達で母を連れて行く

地域連携室は介護タクシーに予約の

電話をしてくれただけだった

 

治療連携室って何するとこなの?

本当は?

 

 

WEB面会

在宅介護までの道のりは

まだまだ遠いんです…

私の中に在宅で世話するのは

老衰だったり、なかなか受けてもらえる

ケアハウスが見つからず家族が

必死で面倒みている認知の親とか…

そんな認識でしかありませんでした

 

初めてのWEB面会

姉と2人で病院まで行った

受付で面会者の申込み用紙に記入し

既にpc前で準備していたスタッフさんに

提出するとpc画面には

病室内でセッティング中の様子が

映っていて、何が始まったのか

分からずキョトンとベッドに座っている母の姿があった

 

母はとても耳が遠い事

を何度もスタッフさんに伝えるが

音量もこれ以上は上げられない

イヤホンもない

と特に配慮はされなかった

 

どうぞ、お話し下さい

とWEB面会が始まった

姉と2人で大きな声で

お母さーん!と何度も声をかける

聞こえる?分かる?

と大声で話しかけるが

pcの画面に映っているだろう私達を

ホケ〜と眺めたり

側にいる看護師さんの方をキョロキョロ

見たりしている

 

母はビデオ通話なんてした事ないし

pcに映っているにが写真なのか

何なのかも理解出来てないように

思える

看護師さんや私達側のスタッフさんも

母の検査結果や診断結果からも

既に理解出来る能力はない

と思っているのだろう

コロナ禍で面会禁止の家族の

気が済むための作業に思えてくる

 

けれど、倒れた日、最後に母に会った日

私は母が私を認知し何度も手を握ってたし、涙を流していた事が

忘れられないのだ

娘が分からないのではなく

WEB面会のこの状況が

一体何してんや???

ってキョトンとなってると

思えて仕方ない

 

何度も画面に見え隠れする母側の看護師さんに呼びかける

母は本当に耳が遠いんです‼︎

音量を上げてもらえませんか?

すると看護師さんが母の耳元で

ゆっくり大きな声で

「娘さんが来てるよ!」と

画面に指差した

その途端!

母は泣き崩れるように嗚咽し

動く左手を自分で目に当てて

涙を何度も拭った

 

音量を上げようと母側の看護師さんが

pcを操作してくれたようだが

それが良くなかったのか

あちら側のpcから音声が聞こえなくなったようだ

あちら側の看護師さんからこちら側のスタッフさんに院内携帯電話で

お互い話し始めた

少し様子を伺っていたが

ププイ:あの…その携帯で話しさせて

    もらえませんか?

スタッフ:えっ?

ププイ:あちらの看護師さんの携帯を

    母の耳に当てて

    もらえませんか?

 

どうしよう?どうするべき?とあたふたするスタッフさんの前に私は手を差し出し電話を貸すように促す

勢いに負けたのか

迷いながらも携帯を私に渡す

私はその携帯であちら側の看護師さんに

このまま母の耳に当てて欲しいと

伝える

看護師さんが母の耳に当てると

母はじっと携帯に耳を澄ませ

動く左手で携帯を自分の耳にもっと

強く押し当てた

 

「お母さん!聞こえる?

ごめんやで!コロナやから部屋に

入れてもらわれへんねん!

でも、下のロビーにおるよ!

大丈夫やからな!何も心配いらんで!」

と大声で話しかけた

母は泣きながら何か話そうと

苦しそうに口を開くが

言葉が出てこない

言葉が出てこない事に苛立つような

素振りで頭を振った

これが失語症なんだと知った

 

それでも…

お医者さまは理解出来ているのではなく

記憶や反応だと…言い続けるだけだった

 

2週間後

父と私でWEB面会に行った

病院のレンタルパジャマは

ボタンではなく浴衣のように

前を合わせて紐を2箇所で結びタイプ

を着せられていた

前回も今回も胸元ははだけたまま

ずっと横になっているので

髪もボサボサでお洒落だった母の

面影は1ミリもなかった

少し肌寒くなる季節だったので

カーディガンやショールも

渡してあったが、転院まで1度も

かけてもらった様子はなかった

 

父と私が呼びかけると

今度はWEB面会と理解出来たのか

最初じぃーっと画面を見つめていたが

前回同様、泣きながら左手で

涙を拭った

その左手には拘束用の手袋が

はめられていた

事前に電話で

「鼻からのチューブを抜くと

大変なので状況に応じて

拘束する事を了解お願いします」

と確認があった

現状が理解出来ない母にとって

触ってはダメですよ

は理解出来ないとの事だった

拘束用の大きなミトンで涙を拭う母の姿があまりにも可哀想で胸が痛かった

自分で体を動かす事も

自由にテレビを付ける事も

食事も出来ず

話す事も言い返す事もできず

唯一動く左手の自由までも奪われていた

 

WEB面会は2週間に1度、10分程度

けれど、私は2日に1度は日用品や

洗濯物の運搬に呼ばれて

病院を訪れた

夕方の外来が閉まった暗い病院に

警備室前の入口から入る事もあったし

日中の看護師さんや介護士さんが

走り回っている時間に行く事もあった

 

エレベーターのすぐ横に

テレビやソファーが置かれ

通常なら面会に来た家族と入院患者が

お話しするフリースペースのエリアがある

コロナ禍の今は面会禁止の状態なので

蕎麦屋の出前インターホンで

待たされる家族の待機所となっている

 

病院内全科面会禁止!

けれど、病院パジャマを着て点滴のポールを押した男性と

面会に来た女性がずっと座って話していた

私は母が病院食をほとんど口にしない

と液体栄養食を鼻からのチューブのみで

栄養を補っていたので

家から大好きな茶粥を作って持って行った

食事の介助は12時過ぎからなので

12時前には持って来て下さいと言われ

看護師さん達の仕事が一旦落ち着く1時半過ぎまで

そのフリースペースで待っていたが

その中年カップル私の来る前から

そして帰る時もまだそこで

過ごしていた

エレベーター横なので看護師さんや病院職員は

大勢がそこを通り過ぎるが

誰も何も言わない

え?見えないの?

私だけに見えてるの?

どういう事?

とずっとずっとそのカップルを眺めていたら

2時間すぐに経った

 

ある夕方、蕎麦屋に出前インターホンを

押して返事を待っていたら

女性の大きな話し声背後からし

振り向くと廊下の壁の少し窪んだエリアに

椅子に座ってスマホ

ビデオ通話しているパジャマ姿の

30代くらいの女性がいた

イヤホンもつけずに大声で話しているので

向こうの声も聞こえてくる

可愛い男の子の声がした

お母さんが入院して小さな子供は

寂しいよな〜

若い人達はこうやってスマホ持って

ビデオ通話いつでも出来るから

面会禁止でも少しはいいよね

と思ったりした

 

別の日のお昼間

蕎麦屋の出前インターホンに先客がいた

60代後半かな〜の女性

てっきりインターホンを押して待ってる

と思っていたら

自分の携帯で何やら話している

廊下の向こうから大柄のパジャマを着た男性が

スマホで話しながら歩いてきた

そして、この2人が携帯を切って横に並んで

話しながらエレベーターに乗り

階下へ降りていった

 

面会禁止って誰の為にあるんだろう

入院患者で出歩き出来る人は自由に

外部の人と接触をし

外部から持ち込まない対策と言いながら

内部が外部との接触には寛容で…

それに文句あるなら携帯持たせろと言い

テレビすら自分で付けれない者に

携帯持たせろと⁈

拘束ミトン付けてりゃ私だってスマホ

使えませんしね?

 

WEB面会という仕方なく採用した制度

にもスタッフは駆け回り

蕎麦屋の出前インターホンにも

いちいち手を止め対応しなくちゃいけない看護師さん達

医療崩壊!人手不足!

そんな言葉たくさん聞いてきたけど

システムが崩壊してるんよね

事件は現場で起こってるんだ!

って言えないのが大病院なのかな〜

 

面会禁止

2週間に1度 10分だけ

WEB面会が出来るとのこと

病院入り口のパーテーションで区切られた

小部屋からパソコンを通して

病室にいる母に会えるらしい

 

携帯も持った事がなく

パソコンなどもちろんだし

ビデオ通話なんて倒れる前でも

理解出来るかわからない

そして今の母にWEB面会でココに

私達がいる事が伝わるとは思えない

ただ、それしか方法がないのだ

直ぐに取れる予約をした

WEBなのに人数制限がある

2人まで…

 

最初のWEB面会まで週末を挟んで直ぐだ

まずは、入院に必要な物を用意する為に

ドラッグストアや各所を駆け回る

体の大きな母は前開きのパジャマを

探すのに散々いろいろ駆け回ったが

直ぐには手に入らなかった

パジャマは病院のレンタルを

継続する事にし

オムツや日用品など

渡されたリストを元に揃えた

 

1回では持ち切れない程の荷物を

脳外科病棟まで抱えて行く

小さなキャリーバッグに詰め込み

オムツやパッドを数パック

両手の指に食い込ませて運ぶ

 

エレベーターを降りたら直ぐに

インターホンが置かれた机があり

工事現場のコーンとポールみたいなので

ここから先は立ち入り禁止と

貼り紙されている

インターホンを鳴らすとナースセンター

の誰かが出て

「すぐ行きまーす」とそこで待つ

看護師さん達が長い廊下と病室を

出たり入ったりしているのが見える

忙しいんだろうな…

大変な仕事だな…

と感じながらも

「今出ました」蕎麦屋の出前の如く

なかなか誰も来ないわけで…

やっと出て来た看護師さんが

母の担当なのか誰なのかも分からないが

みんな忙しいのは見て取れるので

お願いします!と全てを渡して

病院を後にする

 

次の日、歯磨き粉と歯ブラシが必要です

と電話がかかる

入れたんだけどな〜

ププイ:入っていませんか?

看護師:入れてますか?

ププイ:全てに名前を書いてと

    あったので書いた記憶が

    あるんですけど〜

看護師:え?ちょっと確認しますね

(保留…保留…保留)

看護師:歯磨き粉ではなく

    マウスウォッシュ的なのが

    必要なんです

(歯磨き粉と歯ブラシは入ってたんだね)

ププイ:リストに無かったので…

               すみません。直ぐに持って

    行きますね」

片道40分かけて車で持っていく

また蕎麦屋の出前インターホンで無事

引き渡し終了

駐車場を出てしばらく走っていたら

携帯が鳴る

病院病棟看護師さんからだ

ん?さっき行ったばかりなのに何事⁈

と慌てて車を端に寄せ電話に出る

看護師:口腔ケア用のスポンジというの

    のがあるんですけど

    それを持って来て下さい

ププイ:え?今さっきマウスウォッシュ

    持って行きましたよね?

看護師:別の看護師かな…

    今日でなくても構いませんので

    近々持ってこれますか?

ププイ:はい。分かりました。

 

そういう事じゃないんだけどな…

なんでそれぞれがそれぞれに確認なしで

電話してくるんだろうな〜

って思うわけです

電話する方も私が伝えた、誰かが言うと思ったから…とかならないんかな…

行ったり来たりするこっちも

なんか…ちょっと…どうなん?

って感じるのはいけない事でしょうか?

邪魔くさいとかそういう事じゃないんです

こんな些細な事も管理されてないのか?

と思うのは

コロナ禍の医療崩壊を理解出来ていない

一般人の感覚なのでしょうか?

ただ、面会も許されない私達家族にとって

看護師さんだけが頼りなのです

よくして欲しいとまでは望みませんが

あの家族、面倒よね!と思われて

母に対する何かが変わるのが怖くて

言われるがままに走り回るのが

家族なのです

 

毎日のように、何か連絡が入る

タオルが必要です

(持って行く)

洗濯物があるので近日中に取りに来れますか?

↑これって逆じゃない?

入浴したからタオルを使い洗濯物が出たわけだから

1回で済むだろーーー⁈

ま、ま、グッと飲み込みましょう

こんな事ぐらい些細な事ですから。

 

最初に持って行ったオムツが

1週間程で

「もうなくなるのでオムツとパッドを

持って来て下さい。」と。

最初に説明されたのは

パッド交換は1日に数回

オムツは汚れない限りは1日1回の交換

 

最初に持って行ったのは

オムツ1パック(大体25〜30枚だよね?)

パッドは2パック

最初はよく分からないでとりあえず買ったので

夜用の大きめを購入

(30枚くらいだったかな)

なので60枚〜70枚?

 

1日1回の交換を目安にしていたが

オムツは1日3、4枚交換した事になるね?

パッドは1日に10枚くらい?

何もわからない無知な私は

そんなにいるんだ〜〜💦

くらいに思っていた

 

次はオムツを2パック、

パッドを3パックにして持って行った

2時間に1回は交換している

計算になるので

長時間用にするのはやめた

長時間用は枚数が少なくなるからだ

容赦なく交換されるのに

長時間用は無駄に思えた

回数が減るとその分、

1パックに入っている枚数が

増えるのだ

 

そして…

10日ほどして

「オムツとパッドがなくなりそうです」

と電話が入る…

え?え?えぇぇぇ??

50枚近いオムツを10日で?

え?えぇぇぇ〜〜〜???

よほど、漏れるのか?

サイズが合わないのか?

ププイ:50枚が10日でですか?

    パッドなんて100枚以上

    ですよね?

看護師:2枚重ねたり3枚とか

    重ねるからかもしれないです

    とりあえず、足りない場合は

    病院の分を使っていいですか?

    補充分から差し引くので

 

いや!いや!意味わからん!

と思いながらも

言われた通りにするしかないのだ

漏れて臭いままでも放っておいて下さい

なんて言わないわけで…

 

結局、オムツの七不思議は続き

1カ月のオムツ代が3万5千円を超えた

 

これは…ちょっと…対策せねば

ポンコツの私も思ったわけです

何か福祉や行政の支援があるのではないか?

役所に足を運んだ

どこで聞いていいか…それさえ分からず

窓口で「オムツの支援があるって

なんか聞いた事あるんですけど

何処で相談出来ますか?」と

 

介護、福祉の窓口で担当の女性が

丁寧に説明してくれた

市からの支援としてオムツの支給は

在宅介護に限られる事

病院に入院していたり、介護施設

入所している場合は受けれない事

税金の控除としての手続きは申請出来る事

そんな話しを聞いて

結局、今の母の状況でオムツ支給は

受けられない事が分かった

オムツ代が1カ月で3万5千円を超えたと話したら驚いていた

それは大変ですね

と他に何か支援がないのかと

後ろにいた女性(上司?)に話しに行った

その上司らしい若い女性が

並んで私の窓口についてくれた

上司:それ…一言言った方がいいですよ

ププイ:え?

上司:言わないと続きますよ?

ププイ:そんなに使うんですか?とは

    言ったんですけども…

上司:私も数年前に母の件で

   同じような事を経験したんです

   多くないですか?と言ったら

   その後、すごく減ったんです

ププイ:でも、本当に必要だった場合

    必要でも交換してくれない

    みたいな事起こるのが怖くて

上司:普通に考えて…

           その量は異常ですよ?

   もう一度、言ってみてもいいと

   私は思いますよ

 

思いきってもう一度、看護師さんに

オムツの量について確認してみた

いつもは「蕎麦屋の出前インターホン」

で出て来た看護師に渡すのを

「担当の看護師さんお願いします」と

インターホンで伝える

「今、手が離せないので、代わりの看護師が伺います」と言われるのを

遮るように

「いくらでも待ちますので!」

と食い下がってみた

 

担当の看護師さんに持って来たオムツの量を伝え

どれくらい必要なのか

これからもこの頻度でこの量を

持って来たらいいのですか?

と念を押す

もちろん、担当看護師さんも漏れや重ね使いするので…と言った

それ以降、転院するまでの2週間

オムツ足りません電話は一度もかからなかった

転院の際、引き取りの荷物に

オムツとパッドが半分以上残っていて

持ち帰る事となった

 

 

 

 

コロナ禍の入院

入院の手続きに各所を回る

この病院はずっと通ってきたので

段取りの悪さやタライ回しにされるのは

ガッテン承知の介だ

 

外科外来の前を通ると見知った看護師さんが

何人も駆け寄ってきた

「○○さんの事聞いてビックリした‼️

昨日会った時はいつもみたいに

冗談言って笑ってたのに…」と

 

ププイ:コロナで完全面会禁止で全く

    様子が分からないねん💧

    耳が遠い事は伝えたけど

    どこまで配慮してくれるか

    わからんねん。

    時間あったら覗いてあげて

    欲しい

    知った顔の看護師さん来たら

    安心すると思うねん

看護師さん:私達も入られないのよ

      H先生に様子見てきて

      もらうように伝えるからね

コロナ禍は病院職員も自分の部所以外は

気軽に出入り出来ないようだ

 

入院手続きを終わらせると

またICUのある階のエレベーター前で

しばらく待つように言われる

入院中のいろいろなアクシデントや諸々

を了解し、「文句言いません」的な

書類にサインする為だ

看護師さんや事務職員が必要な書類を

それぞれが何度も来て説明を受ける

「これを読んでココにサインして下さい」

「ココでしばらくお待ち下さい」

これを何度か繰り返す

 

しばらくすると「俺ってカッコいい先生」が私のところに駆け寄ってきた

「先程は何か失礼があったんでしょうか?」

(私がH先生の見解聞きたいと言った事かな?)

アンタ!ウチの母ちゃんを練習台にでもしようとしてるでしょ⁉️

とは、もちろん言えない💦

 

ププイ:いえ!私、ポンコツなんで。

    母が信頼しているH先生の

    ご意見が聞きたかっただけ

    なんです

俺カコ先生:そうですか〜

      私の説明が何かご気分を

      害する感じだったのかな

      と思って心配になりまして。

      もちろん、お母様を自分

      の母と思って誠心誠意

      治療していきますので

      ご安心下さい

 

なんか…どうしてか…やっぱり…

この医者…胡散臭いんだよな…

 

しばらくそこで座っていた

もう手続きは全て済ませた

ただ、怒涛のような数時間で

朝6時から気付けば2時

水一滴すら口にする事なく

トイレにも行ってないわ…と感じたら

そこから動けず、ただ座っていた

 

しばらくすると、さっき手続きに来た

看護師さんが

「あの…これからお母さんは一旦

検査の為に下の階に移動する予定です。

ただ、いつなのかハッキリした事は

分かりません。

10分後なのか2時間後かもしれません。

でも、ココの前を通ってエレベーターに乗ります。

本当は言っちゃいけない事なんですけど…

ココの前を通ります。とだけ伝えたくて」

と話してくれた

 

お医者さまの言う通り、もう母は誰が誰なのか理解出来ないのかもしれない。

何時間待つかも、声をかける事も出来ないかもしれない

でも…声をかけるだけでも出来るチャンスがあるのなら待つよ!

今までだって抗がん剤治療で朝8時から

夕方5時まで「ココで待ってて貰わないと困ります」と言われ

ずっと待ってた事もあるんだから

私!待てるんです!

私!辛抱強い子なんです!ポンコツですけどね!

 

もう帰って下さいって言われるまで

座る覚悟で…

母が出てくるであろうドアを視界に入れて

まだ暑い夏の景色をぼんやり見ていた

何度かベッドを押して看護師さんが

出てきたが、母ではなかった

1時間程待っただろうか?

あ!お母さんだ!と思った

顔もまだ見えないし、病院の寝巻きを

着ているので、誰かは判別出来ないはずなのに

ダラリとベッドから落ちていた手が母だった

 

さっきの看護師さんがベッドを押していた

押すスピードをゆっくりゆっくりにしてくれたのが分かった

私が駆け寄り

「お母さん!わかる?大丈夫やで!

心配せんでも大丈夫!看護師さんもみんな優しいからな!」

と大声で声をかけた

ダラリと落ちていた手を私に差し出した

私も母の手を握りかえした

母の目から涙が溢れた

看護師さんが「娘さんの事分かってるんやね」と呟いた

 

けれど、これから先も病院内では

母は「そこまで理解出来る能力が残っていない」という認識で医療&看護され続けるのであった

 

 

お医者さまの説明

救急処置室に運ばれた母の右側を

看護師さん2人がいろいろ触ったり

動かしたりして反応を見るが

ダラーンとなるばかり

ただ…動く左手を左側にいた私に伸ばし

力強く握って…

何かを伝えようとしてるように思えた

「お母さん!大丈夫やで!ここおるよ!」

と声をかけると母は握った左手を

何度も何度もギュッ!ギュッ!として

離さないでいた

 

コロナ禍になり、

「今入院したら誰にも会わせてもらえへんからな!」

とずっと話して来たし

母も私もコロナ感染予防には

本当に気をつけて生活していて

マスクや手洗いはもちろんのこと

不用意な外出や人との接触は極力避けて

生活してきた

なので、自分が急に気がついたら

身体の自由はなく、話す事も出来ず

病院の中だとわかって

不安でいっぱいだっただろう

 

母は24時間以内に出血の恐れがあるため

別の階にあるICUに移動した

コロナ禍なのでここから先は会う事は出来ません

と何度も伝えられた

 

どれくらい待っただろうか…

「主治医から説明があります」

と呼ばれて入った部屋は

デスクの上にパソコンが置いてあり

その前には最初の若い脳外科のお医者さまが座っている小さな小部屋でした

カウンセリングルームなのか

家族に状況を説明する専用の部屋なのか

何もない小さな小部屋だった

 

モニターにはレントゲンやMRIの写真が

次々と映し出され

専門的な医学の説明をただ淡々と

聞かされる

※今の現状は脳全体の半分はダメージを

おっている事

現状を把握したり、会話を理解する機能は残っていないだろう…と

※24時間以内に出血を起こせば

うつ手がない事

 

ん?ん?

でも、現状把握や会話を理解出来ないって

さっき、私の手を握って…

私の事を私と理解してましたよ?

「ご家族のお気持ちは分かりますが

医学的にこの写真から判断すると

それは難しいです」と…

 

そして

「今日これをもって、私が直接お会いしてお話しする事はこれから先は一切ないとご理解下さい。

コロナ禍で私がコロナ感染者になるリスクを無くす為です。

この病棟には2人の脳外科医しかいないので

どちらかでもコロナに感染したら

病棟が管理出来ないからです」

そりゃぁ、そうよね。とこの時は理解した

でも、今は言いたい!

もう次に会う時は引き取りの時なんだ…

と家族は思って後ろ髪を引かれながら

病院をあとにする

病棟は完全に面会禁止をうたい

一切会わせてもらえない

そんな思いまで入院する者も家族もしているのに

なんで病棟でコロナ発生するんだろうね?

ま、この件はまた次の機会に。

 

そして、こうも付け加えた

「間違っても家に連れて帰って面倒みようなんて思わないで下さいね。

一旦、そう言って連れて帰って

面倒見切れなくて、やっぱり引き取って下さい

どこか入院出来る病院探して下さいって

後で言われても何も出来ませんからね。」

この時は在宅介護なんてさらさら頭にもなく

そんな事考える余裕もないのに

念を押された事を不思議に思いながらも

そんな家族多いんだろうな〜

くらいに思っていた。

 

「先生ならどうします?ご家族や親御さんがこの状態ならどうします?」

と何気に聞いてみた

在宅介護なんて全く頭になかったから

ただの会話の流れだけで聞いてみた。

「僕ならそんな馬鹿げた事しません」

と言っていた若い先生の親御さんは

まだまだ若くて元気なんだろうな…

と今なら思える

 

 

 

お医者さま

母が脳梗塞で倒れ、発見が早く処置出来たので

命は取り留めた

右半身麻痺と失語症が残った

ステージ4の胃癌を抱えたまま

寝たきりの状況となった

 

最初に若い脳外科のお医者さんが診てくれていたが

検査や処置を終えるのを待っていると

「先生からお話しがあります」

と呼ばれた

さっきよりもう少し先輩の30代後半くらいのお医者さんだった

外で待っていた時に慌てて入っていった男性で見覚えがあった

細目のスーツでパンツは足元がくるぶしまでのキュッと細くなった布地も高そうなスーツで

なぜ目に入ったかと言うと

待合所で床を見ながらボォーっとしていたら

先の尖ったピカピカに輝いた革靴が走ってきたから

お医者さんだってプライベートはお洒落もするだろうし

どんな服を着てようと自由です(笑)

ただ、キザな雰囲気が救急の待合所には

妙に場違いな気がして目に入ったからだ

 

倒れた家族を心配する家族の気持ちとは

裏腹に陽気にハキハキと話しを始めた

 

脳の半分は損傷を起こしている事

右半身麻痺と右側無視と失語症が後遺症として残っている事

高齢なのと既に胃癌のステージ4という事でこれ以上の回復は望めない事

脳内の出血をさせないよう24時間の監視が必要な事

 

そんな内容を矢継ぎ早に説明を受けた気がする

そして、こう言った

「お母さんはラッキーです!

本来なら高齢者や回復の見込みのない場合はやらない難しい手術で

血栓で詰まった先の血管にステントを埋め込む手術です

日本でも数人の医師しか出来ない難しい手術ですが

お母さんはラッキーです

望むのなら今からすぐそっちの大学病院に移送して

手術を受ける事が出来るのです

もちろん、難しい手術なのでその手術中に

大出血を起こしてしまう可能性もあります

でもお母さんはラッキーです

本当に日本でも数人しか出来ないし

私もその内のひとりです」…と。

 

(このC調な医者は寝たきりで

話す事も出来ないという患者の家族に

何度「ラッキー」と言うのだろうか…)

心の中で妙に冷静に考えていた

これから先はこのお医者さんを

「俺ってカッコいい先生」と表記する事にします💦

 

意味が分からなかった

「どうしますか?するなら時間がありませんよ!」

と急かされるが、意味がわからなかった

そのラッキーなお医者様方の手によって

貴重な手術を受けても

麻痺した右側は動かない

話す事も取り戻せない

癌も治らない

一命を取り止めたにも関わらず手術中に亡くなる可能性は大きい

 

私は何を選択させられようとしているのか

頭をグルグル回転させて

今の母に必要な選択肢は?と一生懸命考えるけど

意味がわからないのだ‼︎

 

「先生?母はその手術を受けても

胃癌の進行と闘って…もうそんなに時間がないという状況で、その危険な手術が必要なんですか?」

との私の問いに

「もちろん胃癌は治せません。

ただ、私のいるこの場所に運ばれたお母さんはラッキーなんです。その手術が受けられるチャンスがあるんです」と。

私がバカなんだろうけど…

これって医療の世界では普通の会話?

 

私の頭の中には????マークがいっぱい飛び交っていた

その中に微塵も「手術を受けた方がラッキー」というものは飛んでいない

だけど、これほど勧めるのは

私が馬鹿で「あの時に受けていたら…」

って言われない為に念押ししてるのか?と自信がなくなる

前日も診察を受けた外科のH先生を呼んで欲しいとお願いした。

「先生が立派なお医者さんなのは十分承知しています。

失礼な事なのかもしれません。

先生のおっしゃる事に意見があるのではなく

母をずっと診てくださっていた外科のH先生の見解を聞いてから判断させて欲しい」と

 

長く通った病院なので見知った看護師さんも多く

1人の看護師さんが入ってきて

「やっぱり!○○さん!カルテの名前みて

ビックリして…まさか⁈と思ってたのに!」

「H先生すぐ降りてくるからね!」

と母と私に声をかけて

母の肩や脚を何度もさすってくれていた

 

もう手術の準備に入っていた外科のH先生が

一旦、母のために

救急処置室まで来てくれた

「その手術、必要なん?

やるべきなん?」

と私の問いにH先生は

「僕の意見は、これ以上、お母さんに

痛い思いして手術するのは可哀想やと思う。これから先も癌は確実に身体を痛めつけてくるんやから…」

私の思いをH先生が言葉にしてくれたお陰で

私の思いも間違ってないと思えた

 

私の頭の片隅に

俺ってカッコイイ先生は母を実験台か

練習台にと思ってるのか?

という考えが消えなくて…

高齢で胃癌末期で…

好都合過ぎて、気持ちがスキップして

私の前を通り過ぎた時に

高そうなスーツや洒落た靴に目を奪われたのではなく

彼の隠しきれないウキウキ感が

場所にそぐわず、異質な空気感が

私の神経をノックしたんだと思う

 

いや!いや!

一生懸命に母のために治療してくださっているのだから

私みたいに人を疑うような考え方は

しちゃいけない‼︎

と何度も打ち消そうと頑張った

でもね、こういうのって

「考える」ことではなくて

「感じる」ことだから

自分でコントロール出来るものじゃ

ないんだよね💦💦

 

これから先、私はこの「感じる」事に

何度も何度も苦悩する事を

この時の私は知るよしもなかった

 

 

 

 

 

 

第三幕の幕開け

癌闘病中の母が倒れた

まるで眠っているようだったと

見付けた父は言った

いつものようにイビキをかいて…

なかなか起きなくて…

不安になった父は何度も呼びかけ

身体を揺さぶったりしたけど起きなくて…

救急車を呼んで前日も診察に行った病院に運んでもらった

 

前日もその2週間前も主治医に

「めまいがする。

立ってられないくらいふらふらする」

と訴えていたのだけれど

「数値は貧血と言う程酷くはない。

若い女性の生理の酷い時くらい」

と言うばかりで、特に取り合ってももらえなかった

 

救急車には父が同乗し

私は保険証や貴重品を持ち

すぐさま車で追いかけた

2年間、母を乗せて抗がん剤治療に通った病院への道のり

通常なら40分くらいの距離

この時の道のりは今思っても

どう運転して駐車場に停めて病院に入ったのか一切思い出せない

記憶にあるのは、

「既に救急処置室に運ばれて

採血などされている母と

その横で脳外科の若い先生に話しを聞いている父がいた」

その場面からだ

 

流石に救急車は速く

私が着いた時にはレントゲンも撮って

「発見が早かったので今からすぐ

脳の血管に詰まった血栓を溶かす薬を

投与します。

2時間以内にその血栓が溶けた場合は

再発防止の管理をします。

溶けない場合は…」

みたいな説明を受けたと思う

レントゲンで見る脳の損傷は右半分を印し

右側の手も脚も看護師さんが叩いたり

つねったりしてもダラーンとなったまま

 

「脳の損傷部位は言語野と呼ばれる所まであり

失語症もあります」と

 

今から処置を急ぎますので

しばらく外で待ってるようにと言われ

母のそばで呼びかける

もともと耳が遠く普通に喋るくらいじゃ

日常生活は出来ないので

私は知らず知らずに普通に話す声も大きくなっている

看護師さんの呼びかけに殆ど反応のなかった母が

私の呼びかけに動く左手を伸ばし

私を探すように手を宙に動かした

その手を慌てて掴み

「大丈夫やで!大丈夫やで!」

と大声で話しかけたら

母の目から涙がポロポロと流れた